DIARY JANUARY 2016

2016/01/01

新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2016/01/03

昨日は日帰り帰省をして親孝行をしたつもりになり、今日は福助と買い物に出かけた後に自宅で模型三昧。

福助と机を並べて互いに模型工作に黙々と取り組んだ。

今年の正月は心穏やかに過ごすことのできた良い正月だった。

2016/01/05

帰り道にたまたま聞いていたラジオでの話。大変勉強になった

なるほど、「企業統治」とはそういう意味だったのか、と、本当にどこかの誰かに聞かせたくなった。

もっとも、この話を聞かせたところで、それが自分のことを指しているのだとは「その人」たちが理解できるとは到底思えないけれど。

こうしたことを理解できない人たちが「統治」する組織の悲劇(いや、喜劇か)が、いかに悲惨であるかは、きっとボクをはじめとする

経験者でしか分かるまい。

 

・・・ああ、そうか。この国の統治者であるアベちゃんにも聞いてもらいたいけれど、あいつに聞かせてもあいつは理解できまい・・・

まさにこの国は悲劇(喜劇)の真っ只中ということか・・・。

2016/01/07

この国の「センセイ」方には、あの国の大統領のように歌ったり泣いたりは出来まい。

情に訴えようがなんだろうが、自分の思っていることをあんなふうに素直に伝えようとすることが許され、周囲もとりあえずはそれを受け止めようとする雰囲気は

やはり見倣うべきではないだろうか。ぃゃ、見倣うべきかどうかはともかくとして、あのような場面ひとつひとつがあの国の強さを示しているのだと思う。

あの国のことは大嫌いだが、うらやましいと思う。そして、この国はまだまだだと思う。

なんと言っても、男性議員が育児休暇を取得するかどうかで「俺の時はそんなんじゃなかった」と、いまだに年寄りが喚く世の中だもの。

老々介護に陥った人が「昔はこんなじゃなかった」といって介護を放り出したら許されるだろうか?許されないだろう?

今が昔と違うからと言って、頭ごなしに否定するのは、単純に自らの柔軟さの欠如を露呈するだけだ。

昔(=20~30年前)と今は違うのだ。特に現代は「昔」の経験が参考にならないことが多い。

育児や介護の当事者はみんなもがき苦しみながら必死に試行錯誤しているのだ。「俺の時は違った」と訳知り顔で否定するのはいかがなものか。

こんなことでは少子化からの脱却なんて絶対できっこない。もっと人口は減少するはずだ。

アベちゃんはそういうことをわかっているのかな?

 

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ボクのNゲージ工作を見て完全に感化された福助は、目下自分のレイアウト制作に夢中になっている。

うじうじとあれこれ悩むだけで何も進まないボクとは違って、怖いもの知らずの福助はバンバン工程を進めていく。

気が付けば、池を作り、山を作り、草を茂らせ、レールと枕木の汚し塗装まで行っている。

その行動力には驚かされる。

ボクはと言えば、相変わらずのペースでのんびり作業するだけだ。

↑福助作

↓木蓮作

2016/01/09

ここ数か月間、妻が何度も「早くしよう」と主張していた家の模様替えにようやく取り組んだ。

これも4月からの生活環境の激変に備えてのことである。

タンスや学習机などの比較的大きな家具の配置を大きく換えることにしたのだが、ちょっと軽く考えすぎていたようだ。

一つの家具を動かすということは、結局ほぼすべての家具の配置を換えるということに他ならないということにようやく気が付いた。

気が付くと、ボクのテリトリーは大幅に縮小され、言わば「片隅に追いやられ」てしまった。

もっとも「片隅」という表現がふさわしいかどうかという狭い家の中のことであるし、

4月からはそれとは別に「自治領」を得ることから、片隅だろうが何だろうが、それは甘んじるべきことではある。

 

それにしても、家全体での家具の配置を考えるというのは、簡単そうに見えてそうでもなかった。

予想以上にくたびれてしまったのは、加齢が原因だろうか・・・。

 

2016/01/13

確か昨年の年末に事務で確認した時は、窓口で対応に出たボクと同い年の女性担当者は「来週まで授業がある」と明言していたと思うのだが、

今日の授業の冒頭で確認したところ、なんと、今日が最後の授業であった。

あの担当者はいったいどんな仕事をしているんだろうか。大層なご身分でいらっしゃることだ。

まあ、それはともかくとして、足掛け19年にわたったこの職場での授業も、実にあっけなく最期を迎えた。

正直なところ、今回で15回目(!!!!)を迎えるこの授業もネタが尽きてきていて、来週はどうしようかと思いあぐねていただけに、

今日が最後という情報とそれを裏付ける確実な証拠を得て、思わず笑みがこぼれ出た。

 

帰りの車の中でゴダイゴの「Taking Off!」を聴いた。実に清々しい気分だった。

以下、自画自賛である。

ボクは、腐りきった組織を、思いっきり蹴とばして、まったく新しい未来へ飛び出すのである。

ここまで耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできたのも、一重にこの時のためである。

ボクはボク自身のこの選択と決断に、誰にも後ろ指を指させない。

ボクに後ろ指を指す連中は、つまり、そういう奴らだということだ。推して知るべし。

ボクは、そういう輩の存在自体を根本的に否定し、徹底的に無視する。

あいつらがこの2年間、ボクの存在を無視し続けたのと同様に、ボクはあいつらを永遠に無視し続ける。

もう無意味な会議に自分の時間を差し出す必要もないだろう。欠席したとて何の影響があろうか。

仮にどんな文句が出てこようが、所詮ボクにはもう関係のないことである。もうかかわりのない世界のどうでもいい戯言に過ぎない。

見たくもない連中の顔を見て不愉快な思いを強いられるより、今の自分に必要なことにすべてを注ぎ込むことの自由を存分に味わおう。

 

ボクはこの2年間、実にちっぽけな官僚機構に過ぎないこの組織の中で、権力というものの絶大な影響力と恐ろしさを骨の髄まで味わった。

そして、権力関係において、自分がいかに非力であるか、いかに他者に生殺与奪の権利を握られているかを思い知らされた。

さらに、いかに人間が簡単に人の信用を裏切り、簡単に権力側に寝返るか、寝返った末にいかに薄情な言動を公にするかを目の当たりにした。

読みたくないものを読まされ、知りたくないことも知らされた。

恐らく、それを書いた人はボクがそれを目にすることなどないと思っているであろう文書まで、目を通した。

結果、人間の恐ろしさを理解した。

孤独に苛まれ、鬱になりかけた。

ボクのこの経験は、この組織にかかわるすべての人に等しく降りかかる可能性がある。

それでもボクは幸いにもボクを励まし支えてくれる方々に出会うことができた。不幸中の幸いとはまさにこのことである。

ボクは自分自身を本当に幸運に恵まれた人間だと思う。

どうか、あなたも機会に恵まれるならば、本当にどうか早く、ここから抜け出せますように。

本当に、心の底から願うだけである。

ボクが多くの方々から励ましを受けながらも、実質的には誰からも助けられなかったように、

ボクもあなたを励ましこそすれ、実質的に助けることはできないから。

世の中の現実は実に厳しい。だからこそ、早くここから抜け出すべきである。

2016/01/14

実はちょうど1年前の今日、内定の連絡をいただいたことをふと思い出した。

この1年間は結構長く感じていた。もっといろんなことができたような気もするな・・・。

 

「ちょうど1年」ということに思いを巡らせていたら、唐突にボクは生まれてから何日生きてきたのだろうか、と疑問に思った。

誕生日にせよ何にせよ、「1年」とか「1か月」という単位で物事をとらえるけれど、生まれて100日目とか、1000日目という記念日は

なんでないんだろうか・・・。

というわけで、計算してみると、ボクは今日で誕生してから15,750日目であることが分かった。キリのいい20,000日目まで、あと4,250日。

たぶん11年半後ということになる。う~ん…ちと遠すぎるな・・・。なるほど、1年区切りくらいでお祝いする方が何かとよさそうだ。

2016/01/17

小中学校時代を共にした旧友と久しぶりに酒を飲んだ。

彼と飲むのは2回目だが、実に楽しくて愉快だった。

やはり酒は仲のいい友人や好きな人と飲むのがいい。

 

実はその友達との待ち合わせに場所に向かうために職場を出ようとした直前に、エレベーターの前で唐突にある男から声をかけられた。

曰く「今度、飲みに行こうよ。席を設けるからさ」。

瞬間、ボクは答えていた「いや、結構です」

男曰く「まあ、そう言わずにさ。いいじゃない」

粘っこく、しつこい。

いろいろなことを考えた。この男は今年度でボクがここを辞めることを知っているのか?知らないのか?

誰か他の人間を交えて飲もうと誘っているのかどうなのか?

その結果、ボクは尋ねていた。「いや、誰と飲むんですか?何を話すんですか?」

男曰く、「二人で飲むんだよ。まあ、いろいろと話すこともあるからさぁ」。

 

うわっっ! きもっ!
 

「いや、ごめんこうむりますよ。かんべんしてください」と一応やんわり断って、エレベーターに乗り込んだ。

ん~・・・。あの笑顔でありながら笑っていない目や薄気味悪い猫撫で声を聞く限り、どうやらこいつはボクの状況をあまり正確に把握していないらしい。

4月からは自分の駒として利用しようとしたがっているようないやらしい雰囲気を感じる。

 

ぃゃ~、あんな奴と飲むなんて、時間とカネの無駄以外の何物でもない。

たとえ奢られたとしても、何も嬉しくない。

やっぱり酒は好きな人と飲むに限る。

もうあんな奴に好かれる必要もないし、気を遣う必要もないのだ。不運にもまた誘われたら今度こそはっきりと断ろう。

 

あべちゃんが最初に首相になった頃だろうか、それとも、コイズミさんが「民営化、民営化」と叫んでいた頃だろうか、

とにかくそれまで以上に新自由主義に傾斜していった頃、新自由主義的経済の導入で、まず犠牲にされるのは人の命だと指摘されていたことを

この頃の事故のニュースを聞くたびに思い出す。

特に最近はそういう傾向が多くないだろうか。

きっとあのバス会社は、もう亡くなってしまった乗務員にすべての責任をなすりつけるに違いない。

実に新自由主義的だ。

2016/01/18

これだけ暖かいと、いくらなんでも雪は降らないかと思っていたのだが、雪が降った。

朝、福助もまるちゃんも大慌てで出かけていく。妻は電車の中で缶詰めになり、普段より30分遅れで職場に到着したという。

30分であればずっとましな方だろう。テレビを見ていたら、昼過ぎになっても駅前に行列を作っている人たちの姿が映っていた。

それぞれの事情によるだろうが、あんな何時間も電車を並んで待つよりも、自分で歩くとか、別の交通手段を見つけるとか、

そういう選択肢を取らないのが非常に不思議である。

それは大震災の時に都心から徒歩帰宅をした際にも感じたことである。

「待つ」という選択肢を選択しないボクは、きっと都会人ではないのだろうと思う。

 

国民的アイドルグループの「生謝罪」を目の当たりにした。

「謝罪」と言いつつ、あれは反旗を翻した「犯人」に対する「見せしめ」であり「恥さらし」であり「公開処刑」であろう。

あんなに生々しい権力行為を放送してもいいのだろうか。金になるアイドルを握った事務所に媚を売るマスコミの薄情さにも呆れ果てる。

まあこれじゃあ、時の政治権力にも公然と尻尾を振って憚らなくてもなんとも思わないわけだ。

自ら信じる「筋」すら通せず、結局は権力者におもねるしか生存するすべを持たない、30代から40代の「芸能人」という生きざまを

まざまざと見せつけられて、非常に憤りを感じるとともに、その「処刑会見」を食い入るように見つめていた妻とまるちゃんと福助に、

「あれが権力ってやつだ。よく見とけよ」と必死にちゃちゃを入れていた。

「独立(=クーデター)」を言い出したという彼の、あの溜息がすべてを物語る。これから先、ずっとあんな溜息をついていくんだろうな。

可哀想に。

2016/01/20

福助の授業参観だった。図工の授業を参観した。

ボクが小学生だった時分よりずいぶん洒落たことをしているんだな、というのが第一印象だった。

クラスの子どもたちもみんな楽しそうに作業をしている。

よく、国社数理(英・外)が「主要教科」と言われるが、本当にそうだろか。

確かに、メリトクラシーから言えばその4~5教科の「合計点」が「能力」に「換算」されるのだから「主要」ではあるが、

生活の質の追究や精神的豊かさの追究から言えば、体育・図工・家庭科は「主要」ではなく「重要」であろう。

いやいや、「重要」ではなく「必須」だろう。

40も半ばを過ぎたボクたちが、今この図工の授業を受けたら、どれだけ楽しいだろうかと、妄想に浸っていた。

デューイの「学校と社会」をまた読んでみようかと思った。

 

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バスの蛇行は、別に今に始まったことではない。

深夜の高速道路では、蛇行するトラックの走行など、日常的にみられる光景だ。

しかし、やはり、だからこそ、もう人間による物資の大量輸送は限界を迎えているということなのだろう。

「格安」料金でバスの運行を強制するツアー会社もさることながら、「格安」であることを当たり前として、ツアーに参加することを求める

私たちの「欲望」をこそ、今一度考え直す必要があるのかもしれない。

そして、消費経済の中で私たちの「欲望」抑制することが「悪」とされるなら、少なくとも末端の労働現場での人間の労働を諦め、

完全に機械化することが喫緊の課題になるだろう。

すでに航空機の世界では、人間よりも機械の判断のほうが正確と捉えられていると聞く。

鉄道、バス、タクシー、船舶、航空機。こうした移動手段はあと10年もすればかなりの確率で人工知能が導入され、機械化されるに違いない。

そしてそれは医療、介護、教育、果てには接客まで拡大してゆくに違いない。

 

生身の人間同士のアナログなコミュニケーションがどんどん失われるのは、もう仕方のないことなのか。。。

だからこそ、体育や図工や家庭科の重要性がもっと増していると思うのだ。受験に関係なく役に立たない科目の授業こそ、

学力が問われ高い付加価値を持つ科目なのだと、ボクには思える。

2016/01/21

昼過ぎに用向き先に出かけるために車を走らせていたら、轟音を立てて頭上を行き過ぎる飛行機がある。

いつものホーネットかと思って見上げたら、ホーネットにしては黒く大きな機体である。

飛び行く方向も厚木ではなく、横田に向かっているようだ。

厚木に飛来するのは海軍機が基本で、横田であれば空軍機だ。デルタ翼の先端を切り落とした主翼。高度から見ても異様に大きい機体。

F15だろうか。F15であれほど黒い機体ならF15Eストライク・イーグルだ。

もう一度よく目を凝らすと、垂直尾翼が斜めに飛び出しているように見える。主翼下にポッドを吊り下げているのが不可解だが、

あの機体の大きさで斜めの垂直尾翼なら、ご時勢からして、F22ラプター以外にない。

 

果たして、新聞記事を確認すると、やはりボクは本物のラプターを3機も目にすることができたようだ

一瞬にして見渡す限りを地獄の業火で焼き尽くすことができる悪魔の機体を拝んでしまった。

ミリタリーファンとしては嬉しいが、あまりいい気分はしない。

 

2016/01/22

4月からの一人暮らしの予行演習。

一人なので気楽ではあるが、いろいろと細々したものを買い揃えないといけないなぁ・・・

まあ、とりあえずは思ったよりは寒くなかったので、良しとするか。

ぁぁ、一人暮らしを始めるというのは、別に離婚するとかじゃあありませんので、ご心配なく。

仕事の都合です。

 

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両親と姉とボク、親子2世代の4人だけの「家族」としてまとまって行動するのは、実に20年ぶりぐらいなのかもしれない。

もちろん、ボクや姉の連れや子供と一緒のときはいくらでもあるのだが、いわゆる親子2世代からなる「核」家族として4人だけで顔を合わせるのは

滅多にない機会であることに改めて気がつかされた。そして「核」家族内の関係性が他の人間関係とは比べ物にならないほど特異であり、重要であると

認識を新たにした。

子どもの進学や結婚で家族の形態は大きく変わっていく。ボクと妻とまるちゃんと福助という「核」を物理的に維持できるのは、実はさほど長い時間ではない。

家族の時間を大事にしなければならないな・・・。

 

そんなことと合わせて、

まるちゃんと福助はちゃんと育てなければならないと痛感した。

人前に出した時に、かれら自身が恥ずかしい思いをしないで済むように(見栄が云々ということではなく、しっかりと筋を通すという意味で)することが

親としての務めだと。そういうことを心底感じた一日だった。

2016/01/28

久しぶりの更新だけど、悪口である。

最初にこのページに来られた方に謝っておきます。ごめんなさい。

でも、悪口の相手には謝りません。

あいつもボクのいないところで好き放題言っているらしいので、こちらもこちらで好き放題言わせてもらいます。

 

ボクとは何らかかわりのない会議の席上で、さる責任ある立場に立たれるお方から「残るひとりもやっと片付いた」とご発言があったそうだ。

その「残るひとり」とは、他ならぬボク自身のことである。

 

ふざけるな。と言いたい。

 

と、以下、いろいろ書いたんだけど、ここで悪口を書いたところで、結局ボク自身があいつと同じレベルになってしまうなので、もうやめます。

「けっっ。なんでも勝手に言いやがれ」って感じです。

 

ぃゃ~・・・4月から、あのマムシ様の下で働けなくて、残念至極・・・。

2016/01/29

日曜日早朝に仕事で神戸に行かなければならないのだが、

こちらの雪の降り方次第では、前泊を考えなくてはならず、どうしようかと考えあぐねる。

土曜の午後にも用事が入ってしまっているので、どうにもこうにも・・・

 

さて、どうしたもんだろうか・・・

2016/01/30

結局雪は降りもしなかった。

ネットで見る予報は、降雪の予想をしていなかったのだが、テレビの天気予報は「積雪10センチの見込み」などと平気で言っていた。

予報が外れた場合のリスクを担保することは大事だとは思うけれど、ちょっと大げさに騒ぎすぎではなかろうか。

「雪は降らないんじゃないか」というボクの勘が一番当たっていたことになる。

おかげで今日の予定をすべて無事にこなすことができた。前泊もしなくて済んだ。

 

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それとは別に、学ぶことの多い一日だった。

またひとつ、新しい世界を知った。